desert season

KUROの(全く方向性の定まっていない)趣味のあれこれ。

『トライガンマキシマム』(2003年3月発売「ヤングキングOURS」5月号) 

ちょっと間が空いてしまいましたが『トライガンマキシマム』連載時に書いていた感想です。

この当時は雑誌書いて2日で感想書いてたんですね。
今は信じられない。

しかも、箇条書き形式で書いてないのが驚きです。最近は余り素直に文章を書いていないということなんですかね。

余りの真剣具合に今読むと気恥ずかしいですが、それだけこの漫画に集中もしていた時期でもありました。




リヴィオとの決着がつき、師匠(チャペル)を追いつめたのもつかの間、新たな敵・ラズロが現れたました。

その正体はリヴィオのもう一つの人格。
かつて父親から虐待を受けた末に生まれた“もう一人のリヴィオ”です。
ラズロは虐待していた父親とそれを傍観していた母親を殺害した後孤児院に送られ、やがてそこも抜け出してミカエルの眼にたどり着いたのです。

ミカエルの眼にとって凶暴で殺人を楽しむ性癖のある「ラズロ」は逸材でした。また、ラズロにとっても殺人鬼である自分を受け入れてくれるミカエルの眼は、生きていくために必要な場所でした。
そしてリヴィオも、「ラズロ」のような人格を抱えている自分が生きていける場所はミカエルの眼しかなくなってゆき、体を鍛え、技を磨き、いつの間にか「ラズロ」と共にGUN-HO-GUNSのナンバーを与えられる身となっていたのでした。

あのウルフウッドを育てたチャペルが支持するだけあって、「ラズロ」の実力は相当なものです。
天性の戦闘センスを持つはずのウルフウッドが一太刀も報いずに地面にはいつくばることになったのですから。
ラズロは根っからの殺人鬼であり、ためらうことを知りません。何の罪悪感無く自分の従者を殺害しました。
そんな彼は命のやりとりをする戦いにおいて最強の存在です。

決して敵に気を使わず、非情に、冷酷に、機械のように徹することをチャペルはミカエルの眼の子供たちに教えてきました。
それはとりもなおさず、戦いのなかで生き残るためでした。
人間の命を奪うという行為に罪悪感を感じ、情を持てば、それだけ自分の命に対するリスクは増加していく。
その事があって、チャペルは感情を捨て去ることをウルフウッドにたたき込もうとしていたのです。

しかし弟子はミカエルの眼の歴史上、1,2を争う逸材であったにもかかわらず、情を捨て去ることが出来ず、リヴィオという“敵”を救うために戦いました。
そのようなウルフウッドをチャペルは哀れみ、同時に愚かだと思うのでした。
そして最愛の弟子が今のような行動をとるようになった原因を「ヴァッシュ・ザ・スタンピード」にあると彼は考えるのです。

ヴァッシュはあのナイブズの弟でありながら、「殺さぬ戦い」「救う戦い」をしてきた人物です。
これはもうチャペルから見れば愚かさの極みのような存在で、そのような甘いことを言えるのも不死者であるが故だと思っています。
チャペルは、ウルフウッドがそのような人ならざる者が抱く愚かな甘い思想に傾倒したために実力を発揮せぬまま死んでいくのだと、憤ります。
それはまるでヴァッシュのせいで自分が育ててきたものを自らの手で処分しなければならないとでもいうような発言でした。

しかしチャペルのヴァッシュに対する憤りが全てを諦めかけたウルフウッドの意識をもう一度呼び覚ましました。



ウルフウッドにとっても、ヴァッシュの生き方は現実というものを無視した愚かな生き方でした。
殺さなければ殺される状況において、相手を気遣う戦いなど常人では出来ません。不死者ならずとも死ににくいヴァッシュだからこそ出来る戦い方だとも言えました。

ウルフウッドは命をすり減らしながらも「殺すな」と叫び続けるヴァッシュを正面から否定して、自分の戦いにおける思想を彼にぶつける事がよくありました。
その思想とは言葉こそ違え、師であるチャペルの教えそのものです。
その考え方がいかに人道に外れてはいても生き残るためには必要なことだと彼はおもっていました。

しかし実際、ウルフウッドは自分のこの考え方についてどう思っていたのでしょうか?
ウルフウッドは事あるごとに自分の生き方についてヴァッシュに語ってきました。それこそ自分の考え方のほうが正しく、ヴァッシュの考え方はおかしいと言わんばかりに。

でももし自分の考え方が全面的に正しいとしたらそこまで強く否定する必要は無かったと思います。

ウルフウッドは幼い頃から殺される前に殺すことを教えられ、実戦からもそうしないと生き残るのが難しいと痛感していました。
自分の行為が神の許さぬ行為であっても生き残る為には仕方がないと自分に言い聞かせてきたような気がします。

そんな彼の前に現れたヴァッシュ・ザ・スタンピードという男はそれこそ脅威だったと思われます。
ヴァッシュの行為の正しさは、人間としてわかりきったことです。
しかしそれを肯定してしまえば今までの自分の生き方が全否定されてしまいます。
それこそ普段意識しないように、見ないようにしてきた暗部をあらわにされたようなものです。

それは正しさを知りつつ、切実な問題からそれを意識しないようにしてきたウルフウッドにとっては最も辛いことだったでしょう。
自分の生き方の正しさを信じ切れず、かといって正しさに賛同することは命がかかっているので出来ない。
正しさと現実の狭間に立たされたウルフウッドにとってヴァッシュとの旅はそれこそ身を切られるようなつらさを味わう旅だったと思います。

そんな“ヴァッシュ”という存在に大いに揺さぶられたウルフウッドが今までの自分を保つには、目の前で正論を吐き続ける男を否定し、自分の行為を正当化する必要があったのではないでしょうか。
そのためにヴァッシュが何か言ったり行動したりするたびに、ウルフウッドは「今まで生きてきた上で正しい」と信じることを訴え続けたのだと思います。

しかしどんなに言葉を飾り、その言葉がいかに正しく聞こえようとも彼の言うことは正論から目を背けるための都合のいい言い訳にしかすぎません。
もしウルフウッドの考え方の方が全面的に正しいのならば、彼は「言い訳」などする必要は無かったでしょう。

それに対してヴァッシュの言っている事は確かに現実を見ていない人間の戯言に聞こえるかも知れませんが、正しい人の道ではあることに間違いはありません。
正しいと信じる道を行くヴァッシュは、ウルフウッドのような余計な「言い訳」を用意しなくてもただ行動に移せばよかったのです。
たとえそれがどんなに愚かな行為に見えても彼はただ人として正しいことをしているにすぎません。

「言い訳」をし続けて、真に正しいことから目をそらし続けてきた自分と、何も言わず行動してきたヴァッシュ。

チャペルという自分と似たような考え方をする男にヴァッシュを否定された時、ウルフウッドは改めてその事に気づいたのだと思います。
そしてウルフウッドは瀕死で生きることを諦めかけていたのに、もう一度腕を動かし立ち上がろうとしました。
その姿は、もしリヴィオを救いたいなら今までの自分のように言い訳を続けていては駄目だとでも言うかのようです。


  頭の中で不吉の鐘がけたたましく鳴り響いている
  はずなのに
  今は聞こえない



今月のトライガンのラストページ。
鐘の音が聞こえない状態=死を連想させるのですが、同時にそのような音が聞こえないほどの意識の集中も連想させます。
戦いに勝ち、リヴィオを取り戻すことを諦めない気持ちです。
結果は来月を見ればわかるでしょうが、ウルフウッドがこれで終わりだとは思えません。




上記は不吉を否定したい私の妄想かも知れませんが、約二日間考え続けて得た私の答えです。
ホントは今月号表紙がヴァッシュ(テレカの応募券がつく!!)だし、本編でも回想シーンだけど久しぶりにヴァッシュの顔が見れたんで嬉しいんだけど、ウルフウッドの事が気になって全てすっ飛んでしまいました。

この状況での一発逆転なんて思いつきませんが(ヴァッシュが来れば可能か!?)、ウルフウッドには生き残った上でリヴィオを取り戻して欲しいものです。

ただ、ウルフウッドって反省してから死んだ前科があるからなぁ~(by TVアニメ)
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